温泉旅館物語

入浴中の美女
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温泉旅館物語 第二話

ホテルの前の相模灘と伊豆大島
ホテル アタガワの正面、相模灘と伊豆大島

温泉旅館生活のはじまり

9月のはじめ、オレ・湯の街ネヲンは有限会社 青雲閣、通称 ホテル アタガワの社員となった。経理係として採用されたオレの仕事は、お客さんから宿泊料や飲料代を頂くための請求書を書く「お会計」係であった。

当時は温泉旅館に泊まったり、レストランで食事をすることが贅沢な行為とされていたので、温泉旅館等は都道府県の首長から料理飲食等消費税なるものを特別徴収せよと命じられていた。これって税金を扱うことなので、しち面倒くさい計算をして公給領収書(請求書)を作成しなければならなかった。その公給領収書の記載はすべて手書きであった。さらに厄介なのは、すべての計算がソロバン一本だったのでかなり大変な作業であった。

初出勤の朝、仕事の先生である真知子先輩を待った。なんと、先生はあの時の女性であった。気位が高いわけではないが、ツンとした感じの色白の美人であった。オレ、内心でヤッターであった。

しかし、そんな高揚感もすぐに吹っ飛んだ。朝の仕事が一段落した時に、真知子先輩が言った。「もう私、明後日から来ないから」と…。

後日、この真知子先輩が、静岡県を代表する伊豆下田の名門女子高の出身だと知った。それで、あの日の職安でのナゾが解けた。職安の歴史ある木造の階段を登った先にあった求人室に展示されていた求人票のほぼすべてが温泉旅館であり、学歴欄には一様に中卒以上と書かれたあった。こりゃあダメだとあきらめて帰りかけようとしたとき、暇そうにしていたゴリラのような顔と体形の職員が声をかけてくれた。

「かくかくしかじか」と求職の意思を話すと、職員は「会計事務所のようなところが、どこの馬の骨ともわからにヤツを採用するはずがないだろう」といいながら、熱川温泉の青雲閣の求人票を差し出した。確かに学歴欄には高卒以上と記入されていたが、この職安の管轄は下田市と賀茂郡である。近くの下田温泉、下賀茂温泉、蓮台寺温泉をはじめとして河津、今井浜、稲取、熱川、西伊豆には堂ヶ島などの温泉地があり、そこには温泉旅館が星の数ほどあるのに、なぜ、たった一枚の求人票を選出して、ここへ行けと言ったのか? それが今までの疑問であった。 スッキリ!

もう一つ、真知子先輩の後日談。ここ熱川にきて初めて寒いと感じたある冬の日の午後、本館の隣で熱川橋のたもとの青雲閣みやげ物店内で七輪に手をかざし暖を取っていた真知子先輩を見つけた。退職したものと思い込んでいたオレは、うれしくなってすぐに真知子先輩のそばにいった。仕事場が違っていたのでずっとすれ違いだったのだ。メインストリートに面した北向の店内にはつめたい風が吹き抜けていた。

「先輩、寒くないですか?」

「平気だよ」といって、真知子先輩は両足を七輪の両端の乗せて「おまんたん火鉢をやっているから」といいながら、口を大きく開けて「あはははは…」と笑った。真知子先輩の明るい一面を見た湯の街ネヲンは、なぜかホッとした。

はや半年が過ぎた

ツワブキの黄色い花
東伊豆町の町花 ツワブキ

熱川海岸沿いの切り立った崖のたもとに、ツワブキの黄色い花が咲くと伊豆にも冬がやってくる。伊豆大島がくっきりと見え、月明かりとイカ釣り船の漁火が幻想的な季節となる。

ツワブキは東伊豆町の町花で、初冬の海岸近くの岩場などに生える菊科の多年草で、大きなつややかな葉に黄金色の花の姿は伊豆の海岸によく似合う。

秋が深まった。湯の街ネヲンの旅館生活も三か月が過ぎようとしていた。この頃には、日常のお会計の仕事も大過なくこなせたし、会社の組織のこと、旅館業務の流れの全体もやっと把握できるようになった。

本館の青雲閣は、旅館であり、みやげ物店であり、社員寮や備品の倉庫、洗濯場を兼ねていた。ちなみに洗濯場とは、当時の旅館は浴衣、シーツ、枕カバーなどのリネンを自館で管理、洗濯していたのでその場所や設備のことをいいます。ちなみに、天日干しした浴衣やシーツはお日様の匂いがしバリッとしていて清潔感がありとても気持ちがよかった。

穏やかな秋の空が続くある日、青雲閣に用事の湯の街ネヲンは、昼の休憩に帰る若い女中さんのスヱちゃんと一緒になった。スヱちゃんは、南伊豆町の出で色が白く笑うと目がなくなる可愛い娘で、土地の自然のことなどをよく知っていた。ツワブキの花のこともスヱちゃんに教えられた。大田道灌公の碑を右にみて熱川橋につづく川沿いの登り坂にさしかかると「ネヲンさん、この川の名前を知っている?」とスヱちゃんがいった。

穏やかな流れの川面を見ながら「知ってるよ、熱川だろう」と、オレは自信をもって答えた。が、スヱちゃんは「違うよ、本当は濁川っていうんだよ」と、にわかには信じられないことをいった。湯の街ネヲンが、ああ本当に濁川だと実感したのは、それからず~っとあとの大雨が降った日である。黄土色に変色し牙をむいたような激流に変わった流れを見て死の恐怖を感じたときであった。

湯の街ネヲンにとって青雲閣には大きな楽しみと喜びがあった。西洋の魔法使いのようなご飯炊きのおばあさんが、オレの顔を見るといつも「さあ、食べな」といってどんぶり飯にたくわんを三切れのせて手渡してくれた。ここの調理場は昔のままで、ご飯は薪で炊いていたのでそれはそれは美味かった。

こんなとき、いつも「ネヲンさん」といって近づいてくる調理補助の女の子がいた。「私、来年は18になるの! そしたら着物を着て女中さんになるんだよ」と、嬉しそうにいっていた。

なんで一杯のどんぶり飯で…、と思う今の人達には想像もつかない世界がそこにあった。ホテル アタガワは三食まかない付きであったが、まともな食事はサバの味噌煮などの一品のおかずが確保される夕食のみで、朝、昼はあるもので済ませなさいということであったが、あるのはご飯と煮詰まったみそ汁だけだった。

最悪なのが昼めしである。食堂とは名のみで、食器の洗い場であり、飲料の保存庫であり、ご飯を炊く炊事場の片隅で、大きな配膳台が食事用のテーブルを兼ねていた。お会計係は仕事がら終わるのが遅かった。だから、昼飯はいつも一番最後である。食堂の電気をつけるとステンレスの配膳台のうえでチャバネゴキブリがウロウロとしていた。そこで、臭くなったご飯の匂いをまぎらわせるために、みそ汁をかけて一気に流し込んだ。

本来ならば涙がこぼれるようなこの話、この時の湯の街ネヲンにはこんなことさえ未知の温泉旅館生活の楽しさの一片になっていた。

<つづく>

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