温泉旅館物語

入浴中の美女
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温泉旅館物語 第四話

お屠蘇をいただく
お屠蘇をいただく

元日の朝6時、羽織袴姿の旦那さん(社長)を前に総勢60余名の従業員が広間に集まった。はじめて参加する湯の街ネヲンが聞くところによると新年恒例の旦那さんの挨拶があるそうだ。新しい年を迎えるために新調された着物を着た若い女中さんたちと、パリッとした真新しい白衣姿の板前さんたちの姿がまぶしかった。

旦那さんの新年の挨拶は気負いのない話しぶりで、世の中の平穏と全従業員が心身ともに健やかで穏やかな正月が迎えられたことの喜びを、ニコヤカにそして簡単にのべた。

挨拶が済むと板前さん女中さんの順で、大番頭さんが注ぐお屠蘇の前へと動いた。余談だが酒飲みはこんなときでも一番大きな杯を取ろうとする。お屠蘇をいただいたあとは旦那さんの前で一人ずつ「おめでとうございます」と新年の挨拶をする。旦那さんは満面の笑みを返しながら「おお…」と言葉にならない言葉を発しポチ袋をそれぞれに手渡した。

お正月

お正月

なんどむかえても心ウキウキするのが、日本のお正月、わかものがいっぱい集まると、ただ、それだけで晴れ晴れしくなる。集合の直前、広間の前で「しつけ糸」を抜いてという娘が2人、3人といた。このときオレはこんなことは前の日にやっておけよと思いながら糸を抜いていた。

新年の行事がすむと、女中さんたちはポチ袋を胸元に差し込みながら足早にそれぞれの持ち場へとむかった。初日の出を拝むお客さんたちのうごきにあわせて新しい茶器セットを持って客室のドアをたたいた。この日は縁起のいい桜茶が用意されていた。

女中さんたちはよく動きまわった。若さだけが理由ではない。旅館の従業員たちに階級制度の意識があったわけではないが、お客さんは雲の上の存在であり自分たちとは違う世界の人たちであると無意識に思っていた。女中さんたちはお客さんの気持ちを汲み取ってしごく当たり前のように先へ先へと動いた。当然、どのお客さんも女中さんの働きに見合うだけのチップをくれた。特に三が日は想像を絶する金額となった。

ずっと後になって湯の街ネヲンは思った。庶民は精一杯の予算で温泉旅館に泊まるべきではないと…。理由は、庶民は背伸びをするとチマチマしたことに文句をつけたくなるからだ。知ったふりをして偉そうな態度でいると、後味の悪い旅行になってしまう。庶民が温泉旅館に泊まるときは、奮発して予算の三倍ぐらいの旅館を選ぶべきである。そうすれば、そこには庶民の知らない世界がある。知らない世界のことには文句のつけようがない。未知の見分は、世間も広くなるし心も豊かになる。さらにいえば、借金に追われて見境なく客を泊めようとする旅館は一刻も早く閉館すべきだある。と…。

日の出まえ

東の空がだいぶ明るくなったが日の出の6時54分までには少し間があった。ホテルの正面には伊豆大島が大きく横たわっている。初日の出はその伊豆大島のやや右手の海上から顔を出す。当時の熱川の海岸線は、道路一本分の埋め立てだけだったので原風景にだいぶ近かった。

オレがホテルの前の防波堤で海を見ながらお客さんの到着を待っていると、いつも「何を見ているの?」といいながら南伊豆町の出身の若い女中さんの由美ちゃんが横に立つ。由美ちゃんは横に並ぶとすぐに腕を絡め腰骨に圧を感じるほど体を寄せてくる。まるで子犬のようにかわいかった。

「ネヲンちゃん、伊豆七島はどのように並んでいるか知ってる?」と、いって「音に聞こえし神津島 三宅 御蔵は八丈に近し 」と、おばあさんに教えてもらったという歌を由美ちゃんが教えてくれた。

伊豆七島は正面の大島から右へ順番に、大島 利島 新島 式根島 神津島 三宅島 御蔵島 の順で八丈島に近い。「 音に聞こえし… 」のなかには、大島 利島 新島 式根島 の島名の頭文字が読み込まれています。今では式根島を七島には数えないで、八丈島を含めて伊豆七島というのが一般的なようです。

さて、伊豆大島の三原山から上空高く噴煙がたなびく日がある。それは、ハワイのキラウェア火山やイタリアのストロンボリー火山と共に世界三大流動性火山であるからだ。

また、三原山は火口上空の雲や噴煙が火口の赤熱溶岩に映えて明るく赤く見えることがある。この火映(かえい)という現象を、地元では昔から御神火様といってあがめています。

冬休み

七草がゆと東風の波頭
七草がゆと春を告げる東風でしける海
東風は、海上では台風並みの風になることがある。

晴れやかで華やかだった正月三が日もあっという間に過ぎ去った。門松やしめ縄などが外され、お客さんの食膳に七草がゆが上ると、春を告げる東風(こち)が吹くまでの熱川温泉は街じゅうが閑散とするが、閑古鳥が鳴くという静けさではない。ゆとりのある静けさであった。温泉街のすべてのものが次に来る繁忙期に備えていた。

今でも一般的には、春と秋の行楽シーズンというが、現在の温泉旅館は土曜日がオン、平日がオフと状況になってしまったので、湯の街ネヲンの時代の温泉地のような明確な春と秋の旅行シーズンがなくなってしまった。ということは、現在の旅館の社員たちは、年間を通じてダラダラと働かざるをえない。だから、今の温泉旅館にはいい意味での緊張感がなくなってしまった。こんなことが案外いまの温泉旅館をつまらないものにしているのではないだろうか。

松の内が明けると、旦那さんはまた全従業員を集めて休業宣言にちかい訓示をした。「やがてくる春の旅行シーズンに備え、風邪など引かないように体の手入れをしっかりして、充分な鋭気を養っておくように」といって、3月までのほぼ二ヶ月間も遊ばせてくれた。もちろん給料は全額支給である。当時の温泉旅館にはものすごい財力があったのだ。現在では考えられない時代である。この余裕から本物のサービスが生まれたのだ。

温泉街が冬休みになると、地元の中学校を卒業し行儀見習いとして旅館勤めをはじめた娘たちは、一週間~10日単位で実家に帰った。

館内が寂しくなったが、帰る家もなく遊びに行く先も金もなかったオレは、故郷のおみやげを持って帰ってくる娘たちとの再会を楽しみに心穏やかに日々を送った。そして、夜が更けるとオレは一人もくもくとひと気のない内場の片隅で洗濯をした。小さなタイルの目地を洗濯板代わりにシャツとパンツを洗った。洗濯は少々億劫であったが苦にはならなかった。だって、洗い物はこの二点だけだったからだ。

熱川温泉ではじめての冬をむかえたオレは、毎日がワイシャツ姿で過ごすことができので、ここでは冬支度が不要だと思った。文字通りの常春の伊豆だと思った。が、次の年の冬は今まで通りの冬の寒さにふるえた。人間の環境適応力の素晴らしさを知った湯の街ネヲンであった。

<つづく>

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