温泉旅館物語

入浴中の美女
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温泉旅館物語 第五話

熱川バナナワニ園は、まだバナナが高価だった1958年(昭和33年)に開園し、今では17種類のワニと約5000種の熱帯植物は世界レベルの観光施設です。園内は温泉熱の利用により、バナナはもちろん熱帯性スイレンや子供に人気のオオオニバスなどの熱帯植物達が季節を問わず咲き続けています。また、動物はワ二だけではなくレッサーパンダやゾウガメ、フラミンゴやマナティも見ることが出来ます。

ワニとバナナ
ワニとバナナ

熱川バナナワニ園では、バナナがお安いといいます。はたして、そのお値段は?

バナナワニ園と一語ずつゆっくりと三回くり返してみて下さい。お値段がわかりますよ!

熱川温泉に春がきた

熱川の海岸通りは天城連山の山塊が切り立つように海に落ち込んでいる。そこの住人たちは、吹き抜ける風や降りそそぐ陽光、潮の匂いや海の色、伊豆七島の島影から季節の移ろいを感じる。湯の街ネヲンがホテル アタガワで働きはじめて半年が過ぎた。季節としての初めての伊豆の春と、温泉旅館のことが少し解ってきた湯の街ネヲンが、初めてむかえた春の旅行シーズである。

1969年(昭和44年)3月、暦の上の春を追いかけるように、おめかしをした新婚さんたちがボツボツとやってた。この時代に旦那さん(社長)がいった「新婚さんは、ありがたいお客さんだぞ!」という名言が忘れられない。それは、やがて子供を連れて泊まりに来る。さらに、孫を連れてやってくる、ということである。そこには、心して働けという意味合いもあったのだろう、みなまで言わない深謀遠慮な旦那さんであった。

観光バス

4月、5月、春たけなわ、新婚さんに混じって、慰安旅行の団体さんを乗せたバスも次々にやってきた。文字通り連日が満館となった。ホテル アタガワのみならず温泉街全体が本格的な春の旅行シーズンに突入しました。その活気たるやまさにあふれんばかり…。そして、東名高速が開通し、1967年(昭和42年)には国道135号バイパスが稲取まで延びて熱川温泉は団体客の受け入れ態勢が整い始めていた。

ちなみに、現在の国道135号は、神奈川県小田原市と静岡県下田市を結んでいます。さて、その基点は、小田原市でしょうか、下田市でしょうか? 答えは下田市だそうです。

湯の街ネヲンは緊張感につつまれた街全体の変化に異様なものを感じた。連日満員というのがどれだけ凄いかというと、お会計係りのオレ、というより男たちは、3月下旬から6月の上旬まで一日の休みもなかった。仕事好き(?)のオレは、そんんことはちっとも苦にならず日々楽しく働いていた。それに休日出勤の買上げ額の多さが嬉しかった。男は黙って働くのがあたりまえの時代であった。もちろん、動きまわる女中さんたちには、それなりの配慮があった。

湯の街ネヲン、去年の秋は無我夢中で自分の仕事しか見えなかったが、2度目のシーズンをむかえたこの春は、いろいろなことが目についた。そして、羨望の眼差しで見つめた人がいた。

週に3~4日であるが、夕方6時近くなると、玄関前に外車が横付けした。なまめかしい香りを漂わせて、三味線を持った地方(じかた)のおばあさんと、若い立方(たちかた)のお姐さんが二~三人降りてくる。酒宴の席にはべる芸者さんである。湯の街ネヲンがあこがれたのは芸者さんではない。この外車を運転してくる芸者置屋のおとうさんである。聞くところによるとおとうさんの仕事は、この芸者さんたちの送迎だけであった。昼間は、同じ置屋の仲間や旅館の支配や板長たちと麻雀三昧だそうだ。仕事始めの夕方はピリッとしているが、夜10時、11時に、お座敷がはねた芸者さんをむかえに来たときは「ヨッ、ネオンちゃん」と千鳥足であった。夢のような時代でした。

ホテル アタガワの従業員ら全員は大過なく春の旅行シーズンを乗り切った。乗り切るなんて大げさな話し方であろうと思われるが、当時の温泉旅館の旅行シーズンとは、朝から晩までではなく、早朝から夜中まで来る日も来る日も休みなく働くことであった。今のようにごく普通に季節が移ろったなどという生易しいものではなかった。

熱川温泉に夏がきた

磯遊び
磯遊び

ホテル アタガワの前にある防波堤の左側(伊東より)は、ごく普通の磯である。右側(下田より)は季節によってその表情を変えた。普段は赤子の頭ぐらいの丸い石で埋め尽くされていて、ひとつの波が防波堤にぶちあたりざぶーんと砕けて引き返すときに、丸い石を動かしてゴロゴロと大きな音を立ている。

相模灘の風が爽やかに駆け抜ける夏が近づくと、大波小波が沖から大量の砂を運んできて、あっという間にきれいな砂浜へと変わる。砂にのって透明で美しいシロギスもやってくる。そして、このままきれいな砂浜でいてほしいという地元の人たちの願いもむなしく、秋風とともに砂は沖へと帰っていった。

熱川温泉に夏がきた。7月も半ばを過ぎると、また、温泉街から観光客が消えた。

ホテル アタガワでは「夏の暑さは体に障る」との旦那さんの一声で、旅館は夏休み状態となった。北海道から働きに来ていた2~3人の娘は、1か月休みをもらって帰郷した。湯の街ネヲンのように帰るさきのないヤツは、ギラギラと輝く太陽の下で磯遊びにふけった。若いって素晴らしいもので毎日が同じ条件のもとでもいくらでも遊び続けられた。

ただし、少しは仕事もした。遊びの帰りには、海岸に流れ着いた流木を持って帰ることである。炊飯センターなどない時代だったので、どこも「ご飯」は自家炊であった。ホテル アタガワは業務用のガス釜であったが、青雲閣のご飯は竈で炊いていた。その薪にするためである。

昔と今、どちらがいい時代なんだろうか?

最後に、現在の温泉旅館業界では、8月13、14、15の三日間を、お盆特別料金期間と定めているが、当時は完全に休館であった。なにをつまらぬ昔話を…というなかれ。みなさんは、現在の旅館運営方法が最良だと思い込んではいませんか? たまには世間並みに、旧盆中は全館休業として、全従業員がそれぞれの先祖の墓参りをしながら、今の旅館運営方法=最良・最善であるという方程式に疑問を投げかけてみてはいかがでしょうか?

<完>

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