ある営業マンの物語

浜名湖かんざんじ温泉
浜名湖かんざんじ温泉の風景

「ホテル舘山寺」は、収容人員300人で、先代からの家業を継いだ二代目夫婦が経営する温泉旅館で、この画像の対岸(手前)の内浦湾沿いにある評判のいい旅館である。

1. 天城 四郎さん

主人公「天城四郎」
ホテル舘山寺の天城さん

この物語の主人公「天城四郎」は、株でもいじりながら悠々自適の生活をもくろみ、生命保険会社を早期退職し、生まれ故郷の浜松市にUターンした。

しかし、もって生まれた頑健な肉体と仕事のムシが動き出し、浜名湖かんざんじ温泉のホテル舘山寺に再就職した。旅館に就職したのは、たまたまの結果であって、たいした理由はない。簡単に言えば、仕事には自信があったのでどこでもよっかたのだ。

天城四郎は、前職の生命保険会社では順調に出世し、営業所長を経て、地域を統括するエリアマネージャーまで勤めあげた。物腰柔らかく言葉遣いも丁寧で紳士然としていた。

再就職先のホテルから伝え聞くところによると、天城さんは、館内の作業がピークをむかえる夕刻からは、宴会場への料理運びから配膳の手助けまでし、宴会が終ったあとも残飯の始末まで、おねえさんたちと一緒になって汗を流しているそうだ。

また、どんな作業時でもネクタイをゆるめず、背広も手放さずに黙々と体を動かすそんな仕事ぶりに現場の仲間たちの好感度はうなぎのぼりであった。

そして、前職が生保の所長ということと、この現場での仕事ぶりが評価され、まもなく天城さんは支配人に抜擢されたという。が、このことが後に災いをもたらす。

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2. 「総案」という仕事

今日も暑くなりそうだ。9月も末だというのに強い日差しが差し込んでくる。冬は温室のようで天国だが、この時期は勘弁してよといいたくなる。ここは、ネヲンの「総案」の事務所である。

「総案」とは、全国ホテル旅館総合案内所の略称で、その仕事の内容は、契約ホテル旅館を街の中小旅行業者に売り込み、かつ、集客することである。ありていに言えば、情報収集力に乏しい中小の旅行業界と旧態依然とした旅館業界とをとり持つ仲介業である。

観光業界に咲いたあだ花

高度成長、大量生産、大量消費の波が観光業界にも押しよせた。おじさんやおばさん、お爺さんやお婆さんまでをも詰め込んだ観光バスが日本国中を走りまわるという時代がやってきたのである。

この波に襲われて、旅館は鉄筋コンクリートの大型ホテル化した。旅行業者は、顧客増により観光地の選択や宿泊先の確保が難しくなってきた。

本来であれば、宿泊先を確保したい旅行業者と、部屋を埋めたい旅館は、簡単にマッチングするはずであるが、両者の間には、ぬぐい切れない不信感がつきまとっていたので、なかなか上手く回らなかった。

お互いの不信感とは、一部の旅行業者がクーポン券(旅館券)を不適切に使用したことによる信用不安であり、約束を反故にする一部の旅館があったことである。

旅館と旅行業者、お互いの要望が一致しながら疑心暗鬼が渦巻く両者の間に、コーディネーターとして割り込んだのが「総案」である。総案の先駆者は、素晴らしい着眼点を持っていた。

「総案」誕生の背景

昭和30年代の伊豆熱川温泉の旅館のパンフレットに書かれていたキャッチフレーズには「伊豆の秘境」とあった。この時代には、歓迎旗をもって東海バスのバス停までお客さんをお迎えに行く番頭さんがいた、この人たちは「外番(そとばん 又は がいばん)」と呼ばれ、お客さんの送迎以外に、宿泊予約の無いフリー客を自館に呼び込むという仕事も兼ねていた。

外番さんが集めたお客さんに対しては、宿泊料金、人数によって歩合給が支払われた。この制度に目をつけた頭のいい人たちが、現在の総案へと進化発展させたのです。

外番さんが、熱川温泉で集客するはせいぜい家族単位であったが、熱海などでは100人~500人単位のお客さんを動かしていた。

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3. 「天城さん」がやってきた

コーヒー豆
コーヒー豆

残暑が厳しいある朝、ネヲンの事務所に、オレと同年代の「天城さん」がやってきた。初対面である。背丈は普通だが体形はガッシリとした印象で、容貌は意志が強そうであった。

この天城さんには、ちょっと仕事のツキがなかった。それは、団体旅行の時代が終わろうとしていたからだ。

「暑かったでしょう」といいながら予約手配担当の家内がコーヒーを淹れに席を立った。コーヒーミルの回転音がやむと、室内には香ばしい薫りがただよった。

天城さんは、喜怒哀楽が顔に出ないタイプのようだ。が、コーヒーを前にしてわずかに表情をくずし、ステックシュガーを半分、コーヒーフレッシュを丁寧に落とした。

現在のネヲンは、総案という営業系の仕事でメシを食っているが、本来の性質は事務系で、営業は見よう見まねでここまでやってきた。だから、いつか営業の基本を学びたいと思っていた。そして、営業といえば生命保険会社の人だと漠然と思っていた。

そんなところに天城さんが来社した。ネヲンには、天城さんの背後からさす朝日が後光のようで、営業の神様ように見えた。

生命保険会社といえば、ネヲンには馬鹿げた思い出があった。

ブッブー
ブッブー

実はネヲン、大学卒業時に「安田生命」(現・明治安田生命)の入社試験を受けた。保険の仕事に興味があったり、営業の仕事がしたくて受験したわけではない。たまたま、事務職ありというのが目にとまっただけである。

試験会場は、新宿駅西口正面の大きな本社ビルの一室で、当日のスケジュールは、午前中が筆記試験で、午後が面接であった。ネヲンは、学内選抜三名の内の一人として臨んだ

たまたま隣席になった、イケメンで快活そうな学生が話しかけてきた。「僕、早稲田なんですが、ここ内定もらっているんです。あなたは?」と、

すでに答案用紙が配られはじめていたので、オレは、右手をひらひらさせてノーのサインを出しただけであったが、オレ、内定という言葉をこの時はじめて知った。ネヲン、世間知らずのアホであった。

午後、面接がはじまると、隣席の彼は、第一グループとして真っ先に面接会場へと行ってしまった。オレはというと、散々待たされて陽が落ちるころになって、やっと最終グループで呼ばれた。そこで、面接官がいった。あなたは語学の成績がいいようだから、それが活かせる職場を選んだらどうですか、と。

面接官の言葉を直訳すると、大企業の事務職の採用は、将来、会社を背負う能力を有する人達が対象なんです。あなたのような三流大学の人は、対象外です。と。

じゃあ、なぜ受験させたのだと問うと、最初から三流大学お断りというと、世間がうるさいでしょう。と

この時、あまりにも無為無策な学生生活を送ったオレには、上流社会での居場所はないと直感した。そんなわけで、下流社会で生き抜くには、体力が一番だと心して、自衛隊にもぐり込むんだ。若いって素晴らしい!

後日、おなじ試験に臨んだ同僚(三人のうちの一人)が話しかけてきた。事務職希望で受験したが一発目でアウトと告げると、あ、事務職希望で受験だなんて、なんという馬鹿が、という目つきをした。彼らは、営業職希望で、近々に二次試験に望むという。だが、残念ながら彼らもそこで終わった。

彼ら同期生の名誉のためにひとこと。時代運が悪かったのである。時は昭和41年、昭和37年11月~昭和39年10月までの高度経済成長時代のオリンピック景気が終わり、証券不況といわれ、就職氷河期のまったっだ中に立たされていたからだ。

「就職氷河期」で、オマケの話。実はネヲン、もう一つ入社試験に臨んだ。千葉県のローカル鉄道・小湊鉄道の募集人員1名というをみて応募した。その時、ネヲンは思った。あんな田舎のボロ会社(ネヲンの個人的解釈)なんだから、もしかしたら、応募者はオレ一人かもと…。

ネヲン、試験会場でビックリした。応募者はオレ一人どころの話しではない。古い木造の大講堂みたいな試験会場には、隣の応募者と肩が触れそうなほどギュウギュウ詰めで100人はゆうに超えていた。応募制限がなかったせいかその人数は安田生命より多かった。くどいようだが募集人員1名である。

オレの高校の先輩だという見知らぬ社員の方が、ガンバレと声をかけてくれたが結果は、もちろんアウト!

そのはずである。ネヲン、大学4年の時、必須科目の第二外国語(中国語)の試験の答案用紙に「出席日数が足りませんが「不可」だと卒業できないので「可」でも結構ですからよろしくお願いします」と書いて提出した。やさしい教授は、こんなネヲンに「良」をくれた。

一事が万事、こんな学生生活を送ったネヲンに人並の就職ができるわけがなかった。

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4. 同行セールス

同行セールスのイメージ
同行セールス

同行セールスとは、文字通り総案と旅館の営業さんとが一体となって、旅行業者にセールスをかけることです。が、その実態は奇怪なものであった。

前職の旅館で営業部長だった時代のネヲンは、相手と親しく話ができるよう信頼を勝ち取るのが営業だと考えていた。カーナビもなく道路事情も良くなかったあの時代、旅行業者の「遠路はるばるご苦労様です」の一声が、営業の成果をあげる入り口だと思っていた。

だからネヲンは、総案のあとについてまわる営業なんて、営業マンをダメにする以外、なんのメリットもないと決めつけていた。

ある日、ある部下が、この総案の会員となってほしいと、ある総案の所長を連れてきた。この時、ネヲンは己の営業信条に反するので、ろくな会話もせずに、けんもほろろに断った。まさか、自分が総案を起業するなんて夢にも思っていない時代の話しである。

世の中を上手に生きるには、いつでも敵を作ってはいけない。この時の総案の所長は、ネヲンが起業したテリトリーの実力者であった。あの時のお礼がタップリとネヲンに返された。でも、ナニクソの発奮のもとにもなった。

この話には続きがある。ネヲンが総案として芽を出して、旅行業者に意外と評判がいいことを知った、あの総案の所長は、手のひらを返したように、ネヲンさんネヲンさんといって近寄ってきて、自分も良識派のネヲンと近しいことを旅行業者にアピールするようになった。生きるとは、こういうことかと教えられたネヲンであった。

さて、同行する旅館サイドのメリットは、数ある総案の会員(同業の旅館)の中から自館を優先的に売ってもらえることである。

そして、旅館を帯同して営業をする総案のメリットは、顔の広さの証明であり、旅行業者に己の力を誇示できることである。

が、旅館業界もバブル期にはいると、その規模を爆発的に拡大させた。当然、人手不足となり社員の質も低下した。特に経営者の目が届きにくい営業マンは、営業に行くと言いながら家でブラブラしていたり、出張先で仕事もせずパチンコだの麻雀三昧というふとどきな輩があらわれた。

その対策に頭を悩ませた旅館のオーナーは、これらの監視役として、総案の同行セールスという制度を利用した。とりあえず、勤務時間中は拘束できるからである。

時が流れて、いつしか旅館の営業マンは、総案との同行セールスが当たり前になると、この制度が、ダメ営業マンをさらにダメにした。およそ世の中に、いま必要なこと以外でセールスマンの話を聞こうとする人がいるだろうか? まして、将来的に役に立ちそうだから話だけでも聞いておこうなんていう奇特な人は皆無であろう。

総案と旅行業者は常日頃から緊密な関係にある。旅行業者は、その緊密な総案が紹介者ということで旅館の営業マンの話を儀礼的に聞いているのだ。旅館の営業マンは何の仕事もしていないのと同じである。

ちなみに、数多くの旅館の営業マンと同行セールスをしたネヲンは、すごいと思った人が2人で、面白いなと感じた若い子は3人だけであった。

ではなぜ、総案はダメ営業マンを引き回すのだろうか。旅館側の意図もあろうが、そこには、総案の隠された思惑があった。

総案の仕事は、中小の旅行業者と温泉旅館とを取り持つ仲介業である。しかし、仲介人にとしての総案は、弁護士や不動産会社のように、お客さんからの要望があって仲介するのではなく、いわば、旅行業者と旅館との間に、無理やりに(?)介入した、足元の不安定な職業である。

だから、総案にとっての仕事上の脅威は、旅行業者と旅館との直取引である。いわゆる仲介人外しである。それを未然に防ぐためのは、どんな営業マンであろうと、同行営業という美名のもとに手元に置いておく必要があったのである。

でも、優秀な営業マンは仲介人(総案)外しなどはしない。能力のある人は、総案の活用方法を心得ていて、あるものを最大限に利用して成果を上げようとする。また、ダメ営業マンは、何もしないから無害であった。

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5. トートバックに詰め込んで

重たいトートバッグ
トートバックにいっぱい詰め込んで

天城さんは、不織布トートバッグに営業の補助資料をいっぱい詰め込んで持ってくる。その重さたるや自然に力瘤が出るほどであった。

その中身は、エアーパークやうなぎパイファクトリーなどの観光施設のリーフレットを広げ、一枚のペラに戻し、クリアファイルに挟み込んだもので、営業件数と同じ20冊もあった。

ネヲンは、そのファイルの束を見てオレのパンフレット冊子「いい旅」と同じだと思った。オレも大手生保会社の所長と同じことをやっていたのかと思うと嬉しさがこみ上げてきた。

だが、ある営業先で天城さんのとんでもない行いを目にしてしまった。

天城さんから分厚いファイルを受け取った旅行業者は、資料収集の労をねぎらいながらアレコレと問いかけた。が、とある観光施設の具体的な話題になったときから天城さんの言動が不自然になった。天城さん指先をなめなめリーフレットの束をめくるが、なかなか目的のリーフレットを探し出せないでいた。

旅行業者の質問に対してもウヤムヤな返答しかしない。しかも、リーフレットを縦にしたり横にしたりしながらである。彼の受け応えからは、現地の情報をしっかりと把握しているようには聞こえない。

ネヲンにとって、生保の所長といえばバリバリの営業マンだったと思っていたので、天城さんのこんな所業が理解できなかったし、元営業所長だったとはとても信じられなくなった。

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6. 住所録

住所録の作成
住所録の作成に異様な執念を燃やす

天城さんが、いつものよう自信にみちあふれた顔でやってきた。もう何回目であろうか、月一のぺースである。

朝、車が動き出すと天城さんは、きまって集計用紙に下手糞な字で書いた住所録をとりだす。オレが「せめて、ワープロかパソコンを使えよ」というと、「いいんです! 書類は心を込めて書くところに意味があるんです」と言い返す。

「ところで、なんでそんなに名簿作りに執着するの?」と、問うと「後続のための資料として残すんです」と、力を込めていった。

自信満々の石頭野郎ほど扱いにくいものはない。ネヲンには、かっての生保の所長という尊敬の念が、ますますなくなり「へぇ~、生保の所長って暇だったんだね」と、ネヲンは嫌味っぽくつぶやいた。

大きな会社の営業所の所長は、階級という階段を登ってトップに立つ。そして、頂点に近づくほど暇になる。理由は、部下が優秀だからだ。仕事といえば本部に上げる日報ぐらいになる。だから、住所録なんてものを作り始め仕事熱心のようなふりをする。

キョロキョロする
旅行業者宅で表札を探し回る

旅行業者名簿作りに異常な執念を燃やす天城さんには極めつけの行動があった。それは、バス会社の OB などの外務員宅を訪問した時にみせる。当然、外務員宅には旅行会社などの看板がない。そんな家で表札が無かったり、本人が不在等で名刺が手に入らないときである。

「所長、ここは?」の問いに、オレは「なんとかさん家(ち)だよ」と生返事をする。彼の名簿作りに協力する気がないのと、年のせいでとっさに名前が出でこないからである。

すると天城さんは、住所・氏名が書かれたポストなどがないかと、玄関先はおろか門柱の裏側までくまなく探し回るのである。

クソがしたくなった犬のように、せわしくウロウロと動きまわる。オレは、かわいそうな習性だなとおもいつつ、隣近所の人がみたらドロボーの下見ではないかと疑われそうなのが気になった。

しかし、書類に執着する天城さんも現場を離れるとなぜか淡泊になる。事務所にもどっても、不明の旅行業者欄を埋めようとする気配がない。家内や事務員に聞いている様子がない。「教えて」というのがキライなタイプなのかな?

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7. ラーメン大好き

ラーメン
天城さんの大好物のこってり系のラーメン

ネヲンは同行セールスが楽しみであった。営業さんが昼メシをご馳走してくれるからだ。ちなみに、旅館業界の慣行で、営業さんの経費はすべて会社が負担した。

まもまく11時半になる。「今日のお昼は、ナニにしましょうか?」と、ネヲンは天城さんにお伺いをたてる。

「いつもの」が、天城さんのいつもの返事である。

「はい、わかりました」オレは少々イヤミっぽく返す。「いつもの」とは、濃厚こってり系のラーメンのことである。これって、初めてのときは驚いた。おいおい、これが営業マンの昼食メニューかよ? 営業のマナーは? と、いいたかったがオレもラーメンが好きだったので、だまって追従した。

お店に入ると、天城さんは、ミニ丼付きのラーメン大盛セットと餃子を平然と注文する。そして、運ばれたラーメンに、おろしニンニクをたっぷりと入れて美味そうにすする。餃子も然り。食欲旺盛である。オレも黙ってご相伴にあずかった。

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8. カセットテープ?

ラジカセ
営業トークがいっぱいつまったラジカセ

営業マンが、取引先を訪問するときは少なからず緊張する。総案が旅行業社に顔を出すのも同じであるが、そこは地元同士であり長年の交流があるので、ネヲンの「こんにちは!」のひとことで、すぐに、おたがいがやあやあという雰囲気になる。

天城さん、この空気を察知すると、すかさずサッと一歩踏み出し「ホテル舘山寺の天城です」と名刺を差し出し名乗る。そのタイミングが実にいい。

名刺交換を終えると天城さんは、体内ラジカセのスイッチを「ON」にし、いつでもどこでも寸分たがわぬセールストークをながす。これって、毎回、相手が違うのだから、それはそれでいい。

天城さんのセールストークは、暗記したものをただ繰り返すだけの並の営業マンとは異なり、話し方こそ穏やかであるが、そこには、生保セールス特有の、つかんだ獲物は絶対に逃がさない、という粘り強いものがあった。

このトークに気おされた旅行業者は、ネヲンに救助のアイコンタクトをそっと送ってくる。これ、説明や紹介に熱中している天城さんは気が付かない。

救助の信号を受信したオレは、これでもかと話を続ける天城さんの熱弁をさえぎるように、関係のない話題をふって会話に割りこむ。と、旅行業者さんはホッとした表情をみせオレの話に乗ってくる。すると隣で天城さんは、ムッとした顔でオレをにらみつける。

このあとオレは、移動中の車内で、天城さんにこっぴどく叱られる。「所長は不謹慎だ、営業は遊びではない。くだらない話をするな!」と、

私の営業力でせっかく話が盛り上がり、これから送客につながるという時にかぎって、所長はチャチャを入れ話をブチ壊してしまう。だから所長のところは、営業成績が上がらないのだとピシャリと叩かれる。

こんな時の天城さんは、前職の所長時代の仕事モードに入り、オレをダメな部下とみたてて、強烈な叱責の言葉を浴びせてくる。

こんな状態の時の天城さんには、とうてい太刀打ちができないことが分かっているネヲンは、天城さんの気が静まるのを待つ。まあ、なんて仕事熱心な人なんだろ~、と思いながら…。

話は少し飛躍するが、転職先で思うように己の力量を発揮できない人は、仕事に対する価値観を以前の会社で身につけたモノサシで測ってしまうからである。特に、大企業で管理職にあった人が転職先で陥りやすい。

それは、大企業のモノサシが絶対であると信じ切っているから、新しい職場には、新しいモノサシがあることに気が付かないのである。

天城さんは、前職の「保険屋」の営業形態、すなわち、押して、押して、押しまくって客の心を無理やりにでも動かして契約にいたる、という道筋が絶対だと信じているので、この流れを断ち切るようなネヲンの言動が許せないのである。

ちなみに、気の利いたホテルの営業マンは、相手の目を見ながら名刺を差し出すだけで、旅行業者の問いかけがないかぎ自館の宣伝などしない。問いかけがないのは、とりあえず当地方への旅行客がないからである。また、人間が一日に覚えられるのは、せいぜい三つであることも承知している。

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9. 訪問営業のノルマ

犬とサルのイラスト
帰宅途中の車中で

天城さんは、一日の旅行業者訪問件数を20件というノルマをオレに課した。このノルマ達成に対する彼の圧力は強力であった。オレ、当初はその営業姿勢に共感を覚えたが、いまは、チョット? である。

理由は、地域や旅行業者を問わず、とにかく20件まわればよかったからである。オレ、営業ってそんなものかと疑問に思ったからである。

ある日の夕刻、オレなりの営業が一段落したので帰途につこうとした。その気配を察知して天城さんが「あと、5件分の資料が残っています」と、いたく不満げにいった。

「そんなに件数にこだわるのならば一人で勝手に回れば…」と、オレは、営業は件数よりも中身が大切だよねと、彼の圧を跳ね返すように応じた。

「いいですか、所長!」と、天城さんの反撃がはじまった。私の営業方針は種まきなんです。だから一定の件数を回ることに意義がある。それと、一人で回らないのは、県下における所長さんの信用力をもとに、私の営業力をプラスして成果をあげることだと言い返された。

オレも負けずに「所長の信用力を利用して? カッコいいことをいうな、本当はひとりでは営業が出来ないんだろー」といい返す。

「そんなことはない」と、天城さんも負けてはいない。私は断わられることからはじまる生保業界を生き抜いてきた男です、と反論する。

オレは、ここで鉾を収めた。この状況は天城さんの土俵だったので、このまま続けるとコテンパンにうちのめされるからである。元生保の所長の力を感じる一時であった。

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10. 営業経路

怒るゴリラの人形
訳の分からないことをわめき散らす

天城さん、今日は特に機嫌が悪いのか、オレのセールス経路にまで噛みついた。旅館出身のオレは、旅館の営業さんの気持ちが理解できるので、出来るだけ営業さんに成果が出るように、その旅館と相性なよさそうな旅行業者を選んで一日の営業コースを選定していた。

「あのですね、所長! 他県(よそ)の総案さんは一日の営業コースが決まっていて、いつも順番どおりに営業をするんです。だから、われわれ旅館の者は事前に心の準備ができて、それなりの対応ができるんです。なのに、所長はいつも適当に回っているじゃないですか! まったくいい加減なんだから」と、かみついてきた。

オレ、心の中で、いい加減じゃあねえよ、誰よりも旅館のことを思ってるよと、反発した。

天城さんは、関東地区と北陸地区の営業を担当していた。各都県のそれぞれに総案があり、ネヲンと同じような同行セールスをしていたから、それらの総案と比較して、ネヲンの営業姿勢が特になっていないと感じていたのだ。

よっぽど機嫌が悪かったのか、さらに、不満をぶつけてきた。「こんな適当な仕事をしているから、所長のところは客が出ないんですよ」と。

「天城さん、お言葉ですが、客がないのは努力云々ではなく時代のせいだと思うよ。実際に、どこの旅行業者にも客がないみたいだよ」

時代は、はなやかであった団体旅行から、親しいもん同士の個人旅行に移りつつあった。

「お客さんが無いわけではありません。私は、カクカクシカジカで元気に頑張っている旅行業者さんを知っています! 団体客は確かに少なくなったが、ゼロになるわけではない。ゼロにならない限りは、所長! あなたは夜も寝ないで頑張んなさい」と、一気にまくしたてた。

「じゃあ天城さん、仮に、最後の一組の団体さんを獲得したからといって、それでどうやってメシを食うんだ!」さらに「夜寝ないと死んじゃうよ」と、いい返すと、天城さん、自分が不利になると黙りこくる。そして、相手の興奮が下がりきると強烈な反撃をする。その間合いがとても素晴らしい。

今回も、ややあって天城さんは「それでもやるんです!」と、力をこめて強烈なひとことを発した。これは単なる苦し紛れの返答ではない。

天城さんは黙っていたのではない。この地区は、総案(ネヲン)の営業姿勢さえ改めさせれば、成果が出ると考えていたのだ。その一言には、なにがなんでもやらせるぞ、という強い意思があった。

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11. 分かったぞ!

ヒラメキのポーズ
分かったぞ!

実はオレ、生命保険会社の人たちは全員がバリバリの営業力を持っていると思い込んでいた。が、オレ、分かった。「生命保険会社」イコール「営業」というのが、妄信であったことが!

天城さんが、保険会社で階段を昇りつめたは、営業力ではなく、たぐいまれなる部下管理能力で出世したのだ。特技は「箍(たが)を締める」である。体育会系のそれではないが、締め付けの圧力は相当強い。

もしオレが天城さんの部下で、所長(天城さん)のデスクの前に立たされ、ビシッと締め上げられたら、間違いなく「ハイ、心を入れ替えて一からやり直します」と、答えただろう。

天城さんは、ネヲンをダメ男と判定した。すると、かっての生保時代の記憶がよみがえり、なとかコイツを修正して一人前の戦力にしようとしたくなったのだろ。

一流会社の社員たちは粒ぞろいで品がいい。だから、上司の叱責ともなればみんな簡単に従う。ネヲンのように、いちいち反発したやつはいなかっただろう。だから天城さん、ネヲンとの付き合いは、そうとうイライラして胃が痛かっただろう。

ネヲンは、天城さんを困らせようとして反発したり逆らったのではない。

なんでもそうであるが、衰退期に入ったものは押しとどめようがない。この時代の観光業界は、団体旅行という形態の旅行が終わりに近づいていた。もろに影響を受けたのが、中小の旅行業者と温泉旅館である。

衰退を避ける一番効果的な方法は、業態の変更である。温泉旅館であれば、宴会型から2名1室というホテル形式にすることである。

言うのは簡単であるが、実行するのは大変である。こんな時、天城さんは両手を広げ、腰を落としてドスコイと困難を身を挺して受け止めるタイプであった。ネヲンはというと、困難を楽に乗り切る方法はないかとキョロキョロするタイプである。タイプが違うから意見がかみ合わないのである。

ネヲンは、異業種出身の天城さんから「こうしたらどう、ああすれば」という答えが欲しくて抵抗していたのである。しかし、ネヲンの「ああしよう、こうしよう」という問いかけの答えは、いつも「団体客がなければ経営が成り立たない」の一点張りであった。

こんな時、ネヲンに一つの疑問がわいた。現地での天城さんの支配人としての行動である。企業風土がまったく違うし、大企業の人たちに比べれば相対的に能力が落ちる温泉旅館の人たちの管理などは、そうとう頭の痛いだろうと思う。だが、温泉旅館経験者のネヲンに、全く質問や愚痴をこぼさないからである。

企業風土の違いの一例をあげれば、前職での天城さんは「そんなことは、自分で考えなさい」のひとことで部下を黙らせることが出来たが、温泉旅館では、それが命とりになってしまう。「そんなことが分かれば、こんなところにはいないよ」と、大逆襲を受ける。

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12. 悩める天城さん

女将さん
女将さんは厳しい決断を下した

「どうしたの? 最近、元気がないんじゃない!?」と、オレ。

「・・・、」 天城さんは沈黙のまま。

ややして天城さんは、支配人として、いつも陰ひなたなく仕事に励んでいるのに、近ごろ、女将との間にすきま風を感じるのだといった。

「なんだ、そんなことか」と、オレ、簡単に言ってさらに続けた。

「疎んじられるのは、あたり前だよ。女将さんシッカリしてるもの!」と、

このオレのとんでもない言い方に、天城さん、ムッとして黙りこくった。

天城さんは不機嫌になったが、耳はそばだてているようなので、ネヲンは、いつものお礼とばかりに強烈なパンチを繰り出した。

「あのね天城さん! まず、自分は大会社の所長だったから、旅館では支配人が当然だと思ってるでしょう。ここがすれ違いのはじまりなの!」と、

つづけて「さらに悪いことは、前職の所長時代の気持ちのままで、今の仕事をしているでしょう。どお?」と、問うた。

天城さん「前職と変わらぬ働き方」という言葉に反応して、少し元気をとりもどし、力を込めて答えた。

「そうですよ。私、夜は宴会場のすべてが終わるまで、朝は、6時に出社して会食場の準備・手伝い、そして、営業の準備としてのリーフレット詰め等、いつも全力で頑張っています」と、

「馬ッ鹿じゃねえの、それは平社員の働き方!」と、ネヲンは、支配人という立場を理解しない天城さんに言い放った。

優秀な平社員が、係長に昇進するのは問題ない。だからといって「優秀な平社員=係長」という方程式は成り立たないのである。

すなわち、優秀な平社員と係長は、まったく違う職務なのである。だから、係長になったら優秀な平社員という殻からから脱皮しなくてはならない。同じように、課長も部長も前職位から生まれ変わらなくてはいけない。

ただ、日本には、年功序列という制度があるので、優秀な平社員のまま上位に昇りつめる可能性がある。そんな組織の行く末は悲惨である。

この変身で一番大変なのが、サラリーマンから転身して経営者になることだ。サラーリマンと社長との違いは、月とスッポンである。

ネヲンには苦い過去がある。ネヲンは友人の勧めによって40歳の時に総案を起業した。起業にあたり、その友人はサラリーマンと社長の違いを口を酸っぱくして説いた。が、与えられた仕事をこなすことに自信があったネヲンは、そんな大切なことを聞き流していた。

一年がたち相変わらずのネヲンに、その友人が言った。あなたには社長の才能がないようだから元の職場に戻りなさい。その方が幸せだよと!

起業の資金も尽きかけていたネヲンは、このときになって、やっと友人の忠告の言葉の意味を考えるようになった。それから2年。擦り切れそうなギリギリの生活でなんとか持ちこたえ、どうにか一人歩きできるようになった。

さて、ネヲンの旅館時代にひとまわり年下の後輩がいた。その奥さんの実家は静岡県の茶農家であったが、市街化の波が押し寄せて、畑が道路にとられるなどの問題がおこっていた。そこで彼は、嫁さんの親に頼まれたり、子供も独立していたので入婿となって、農家兼ミニ地主業みたいになった。

入婿となって半年後の彼と、ある集まりで一緒になった。彼はネヲンの顔を見ると「サラリーマンと社長は違う人種だよね」と言った。その言葉にネヲンは、目が丸くなり言葉に詰まった。世の中って恐ろしいものがある。才能って恐ろしいものだ。この後輩は、半年で名実ともに社長になった。

「あのね~、天城さん! 悩むことはないよ。答えは簡単、平社員に降格してもらえ!」と、ネヲンは唐突にこの問題の結論を言った。だって、支配人としての仕事をしていないのだから当然でしょう、と付け加えて。

天城さん、ネヲンの前ではコイツ嫌なイヤなことを平気でいいやがる、という顔つきで無視を決め込んでいたが、旅館の戻るとあっさりと支配人職を返上した。支配人職を返上するなんて、並の人間にはできない。なにしろ「低いようで高いのがプライド」である。

女将の天城さんに対する期待は、ネヲンの営業に対する天城さんへの期待と同じであった。女将は、天城さんに旅館の屋台骨を背負ってもらいたかったのだが、いつまでたっても下働きばかりで上にあがってこない天城さんを、女将は ”将器にあらず” と判断したのだ。

女将かぎらず女性は恐ろしい。いったん下した答えには容赦ない。

ホテル舘山寺に嫁いだ女将は、大女将に厳しく女将業の教育を受けたという。寝る時間もなかったという。そのはずである。その時代の旅館には、外注という発想がなかったので、例えば、浴衣やシーツなどは館内で洗濯をしアイロンがけまでしていた。だから旅館での仕事量は膨大であった。

今、女将としての仕事は、きれいな所作で「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と頭をさげるぐらいである。肉体的な疲労は年齢的なものからくるものだけだが、その心労は100倍になったという。

若女将の時代は、何も考えずに目先のことをただ追いかけていれば日がくれた。睡眠時間は短かったが、バタンキューですぐ熟睡できたので、翌朝は爽快な目覚めであった。心労ない肉体の疲労は心地よいものである。

今の女将、売り上げ、借入金、返済、人手不足、社員の不平不満、客とのトラブル、料理の評判、仕入れ原価、施設や設備のメンテナンスや後継者のことなどなど、頭の痛いことばかりだという。寝床に入っても、なかなか寝つけず、時にはキリキリと胃が痛むという。

女将は、似たような地位にあった天城さんに、あまたある悩みの一翼を、共に担って欲しかったのである。

運・不運は、紙一重である。天城さんの入社時には、支配人席が空いていた。このことは天城さんにとってはラッキーだったが、異業種から参入したので、未知の旅館の支配人学を習得する機会を持てなかったアンラッキーもついてきたのだ。

女中さんや板前さんに馬鹿にされているのが、最低の支配人。

汗水流して館内を駆けずり回っているのは、並の支配人。

何にもしはいにん、と言われるのが名支配人です。

すなわち名支配人とは、出勤は一番遅く、中抜けは一番長く、たまに館内をひとまわりするだけで、板前さんたちの夕飯のご相伴にあずかると、さっさと帰ってしまう、なにもしない支配人です。でも、館内は上手く回っている旅館の支配人である。

この物語は、実直な天城さんのお話であると共に、元大手生命保険会社の所長という肩書に、勝手に反応し、勝手に踊ったネヲンと女将の物語でもあります。

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13. 突然のわかれ…

いくつかの季節が過ぎたある年の年末「じつは、今回はお別れの挨拶もかねてお邪魔しました」と、天城さんがお歳暮の三ケ日みかん持ってやって来た。

思いがけないことを聞かされたネヲン、この石頭野郎との付き合いが終わるかと思ったらホッとした。しかし、寂しい気持ちも急激にわきあがった。

「ところで天城さん、最後だから教えて」と、ネヲンはさみしさを紛らわせるかのように話しかけた。「なんで、あんなに住所録に固執したの?」と。

天城さん退職が決まり肩の荷が下りたのか、にっこりと微笑んで昔話をはじめた。実はですね私、生保に営業として入社してからの3年間、成績が全くあがらず落ちこぼれだったんです。と…。

そして、会社に居づらくなった私は、ある時、所長に会社を辞める相談にいったんです。すると所長は、相談の結論は保留のまま「これは、かってオレがこの営業所でセールスをしていた時の資料だ」といって、一冊の住所録を差出し、もう少し頑張って見ろといった。

結果は、あれよあれよという間にトップセールスマンになり、今の私があるんです。だから、「後続の一助になればと願って、私は住所録を書き続けたんです」と結んだ。

「ううん、埃をかぶった住所録か!」ネヲン、このあたりには合点がいった。

そして、天城さんの突然の退職理由は、残りの人生は私に付き合ってと奥さんにいわれたからだそうだ。頑固だが根はやさしい天城さん、奥さんの実家の伊豆に移住して夫婦で花作りをし、第三の人生に挑戦するといった。

マーガレット
晩秋から春に花を咲かせるマーガレット

まずはマーガレット栽培から始めるといった。天城さん、新しい顔をみせて静かに帰っていった。頑張れ! 応援してま~す。

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