エンジェルフォール

エンジェルフォール
世界最大落差を誇るエンジェルフォール

エンジェルフォール紀行 後編・目次

  1. 6. ラテン系の人たち
  2. 7. 幸せの滝つぼでランチ
  3. 8. 神秘の絶景、感激の絶景
  4. 9. 南米式ホテルと宴会
  5. 10. また、旅に出た

6. ラテン系の人たち

「ところで与田さん」と、湯の街ネヲンは問いかけさらに続けた。「そのツアーガイドはなんでそこまでするの? 国民性かい? だって、この先に売店がないことを知っているんだから、お客さんを売店に案内するのは解るが、みんなの買い物の代金を立替えたり、与田さんたちの闇取引の仲介をしたりとか、やけに親切じゃない…」

「ネヲンさん、ネヲンさんともあろうお人がなんてことを言うの…」と与田さんは、そんなことは百も承知だろうと、湯ノ街ネヲンをにらむようにして言った。

「でも、もし僕が旅行業者でなかったら、僕の心にはずっといいガイドさんとして残ったと思う」とも言った。二人は顔を見合わせ、旅行業者って職業は世界共通なんだとニヤリとした。今二人は、旅行業界の収益の上げ方が万国共通だという話をしています。

皆様方の楽しいはずの旅行に少々水をさす話しになるかも知れませんがご勘弁ください。どこの旅行会社の添乗員が親切な理由をお話します。

この話で二人は旅行業者って職業は世界共通だということを知った。すなわち、旅行業者は、売店等での物品の販売高に応じてマージンをとることを生業の一つとしている。それが万国共通であることを知ったのである。が二人は、そのマージンの算出方法に、お国柄が出るということを知って面白いと思ったのである。

日本人は基本的には性善説に支配されているので、店主の自己申告を信じて黙ってマージンを受け取る。しかし、南米のこのガイドさんは違った。たぶん、他人は信用できないという考え方なのであろう。だから、売り上げ代金をたて替えるのである。

ガイドさんのとったすべての行為・行動が、商店のオヤジさんに手数料の対象である売上金額をごまかされないための方法だったと考えれば納得できるでしょう。

二人は、いつでも何処でも、考えるヤツが勝つということを知ったのです。そのために、お互いおおいに学習しどこまでも高め合おうと無言で語りあったのです。

ツアーの話に戻ります。

それぞれが欲しいものを手にしたツアー客達は、商品をぶらぶらとさせながらゆったりと歩き始めた。しかも大きな声で喋りながら…。このツアー客達は、「キビキビ」とか「先を急ぐ」とかという言葉を知らない一団のようであった。20分ほど歩くと昨日遊んだ滝のそばにある船着き場に出ました。

きのうの観光は、湖のまわりを周遊するということだったので、ちゃっちい舟だな~とは思ったが、それ以上のことは気にもとめなかった。が、今日は違う。日本では想像もできない未開のジャングルの奥深くに突入するのだ。どんな船で行くのかと気になった。僕はその場に到着して我が目を疑った。なんとそこには、きのう乗った舟と同じ型の舟が、ただ、ゆらゆらと繋がれているだけだった。

僕は、えぇ~っと思いながらそのボートのような舟をまじまじと見た。それは、日本の観光地の湖でよくみる手漕ぎボートを少し長くしただけのものであった。もちろん木造舟である。全長は5~6m位である。幅は二人並んで座るのがやっとである。もし、途中でワニや大蛇に襲われたら…、と想像したら僕は少々ビビった!。

僕のそんな不安な察してかどうか、船頭さんは真剣な顔つきで我々一行を見回していた。もしもの時は、覚悟してくれとその目はいっているようであった。

そうこうしているうちに船頭さんは、男だとか女だとか、また、グループだとかにはお構いなしに、一人ずつ指さし招き、舟の座席を指定し有無をいわせず着席させた。座席といってもただ板を渡しただけのベンチであった。この時の船頭さんの判断は非常に重要であった。小さい舟である。当然、舳先のほうから順に座らせた。

我々総勢14、5人は、船頭さんの指示に黙々と従った。前後・左右のバランスを考えて全員がうまく座らないと、舟が、簡単に転覆してしまうだろうということが、誰の目にも明らかであったからだ。

舟の乗客
ツアーの中間達(舟の乗客)

いよいよエンジェルフォールに向かって出発です。しばらく舟は何事もなくすべるように進んだ。すると隣のガイドが、カナイマ湖から目的地に向うカラオ川に入ったことを教えてくれた。でも、そこの川幅はとてつもなく広く100メートル位はゆうにあった。僕には、湖と川の区別がつかなかった。

僕は、外国人に比べて身体が小さかったので、一番前の席にガイドさんと一緒に座った。舳先の尖がった場所には、長いサオを持った船頭さんの息子らしき少年がちょこんと座っていた。

暫く川を遡って行くと、逆「くの字」型に大きく折れ曲がるような場所に出た。マコバの早瀬と呼ばれる場所である。ボートはこの曲がり角の少し手前で接岸した。ガイドの指示で全員が船を下りた。

ガイドは下船の理由を、この先この川は、浅瀬となり急流となるので危険を避けるためだと言った。が、僕は、浅瀬が長く続くので多くのお客さんを載せていたのでは、重量オーバーで舟底をこすって進めなくなるからだと思った。

岸に上がった我々の一行は、幅3メートルほどの草むらの中の道を歩いた。逆「くの字」に曲がった川を、ショートカットするように歩きました。

今日まで僕は「歩く」ということについて深く考えたことが無かった。「歩く」ということは、世界中の人々がみな同じ行動をとるものだと思っていたからだ。しかし今日、人類共通の行動である「歩く」ということにも、国民性があるということをはじめて知った。とても愉快であった。

僕とオランダ人とイスラエル人の三人は、共に、シャキシャキと歩いて、とにかくどんどん先へと進んだ。しかし、残りのラテン系の人達は、おしゃべりをしながらダラダラと歩いていた。とにかく、飽きもせずよくおしゃべりをする人達です。そんな訳ですから、後ろを振り返ってみると、アッという間にその一団の姿かたちが見えなくなりました。

この日また一つ新しいことを知った。日本人にはとうてい考えられないことだが「30分ほど歩けば、目的地に到着します」という案内方法が通用しない世界があったのだ。僕たち普通に歩いた三人は、途中、エンジェルフォールから帰ってくるツアーの一団とすれ違ったりしながら、予定通り30分程で、再びボートに乗り込むという川岸に着いた。が、残りの人達は、歩くスピードが相当違ったのか、20分以上待ってもやってこない。

ラテン系の人達は、生きることを楽しんでいるようであった。とにかく、あくせくしない。僕たち三人のことなど眼中にないようである。彼等彼女達は、到着するやいなや、みんながめいめいに座り込んで水をがぶがぶと飲み始めた。ところで水といえば、ここでの飲料水はすべてミネラルウォーターである。それは常にガイドが充分に用意していて、いつでも誰でもが自由に好きなだけ飲めました。

僕たち三人は、大らかなラテン系の国の人達を待ったこの僅かな間に、いろいろな会話を交した。例えば、背丈が195センチもあるというオランダ人に、僕は、ピーター・アーツ(オランダ人の K1 選手)のファンだというと、彼は、頭の上10センチ位のところに手をかざし、ピーター・アーツは僕よりこんなに大きいよと言った。僕は、改めてオランダ人って大きいんだと感心した。

そして、日本人の平均的な若者ぐらいの背格好のイスラエル人に、いつかあなたの母国イスラエルに行ってみたいと話しかけたら、余程、嬉しかったのか、地図を書きながら丁寧にお国のことを説明してくれました。イスラエルは小さい国だから10日もあれば全国隅々まで回れると言って笑いました。

ともかく二人とも、すらっとしたスポーツマンタイプで、僕を含めたほかのツアー参加者とは明らかに体つきが違っていました。また、オランダ人が、去年はコロンビアに行ったというので、そこの様子をたずねると、彼は、今まで行った国の中で一番やばいところだったと答えた。そして僕が、ここへ来る途中に一泊したカラカスへは行ったのか?、と聞くと、急に真顔になって、あそこはやばすぎるので絶対に行かないと言った。そして、僕にもカラカスだけは行くなと、真剣に忠告してくれた。

夢中になって話をしているあいだにフト気が付いたことがある。会話の途中では、英語だとかスペイン語だとかという言語の意識が全くなった。そして、単純だけど、ああ人間って、みんな同じ人類なんだなと…、思った。

振り返ってみれば、もちろん、その間だけだったけど…。

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7. 幸せの滝つぼでランチ

舟はジャングルの奥へ奥へと、コーヒー色をした川面のうえを、どんどん、どんどんと進んだ。そこは見るもののすべてが未知の世界であった。瞬きを忘れそうであった。この頃になると、先ほどの心配事などはどこかへきれいサッパリと吹っ飛んでいた。あっという間に時間が過ぎさった。

我々の乗った舟は、行く手の左側から合流してくる小さな川の岸辺でとまった。「幸せの滝つぼ」と呼ばれるところであった。ガイドが、ランチをとり、水遊びをするところだと説明した。

下船中
さあ、水遊びだ、ランチだ!(下船中)

舟を降りると、そこは平らな岩場になっていたが、その面積たるや想像を絶する広大さであった。その一角には、スベスベとしたとてつもなく大きな巨岩がせり出していた。その巨岩の上からは、薄手の白いカーテンのように巨岩全体を包み込むようにして水が流れ落ちていた。大きな大きな半円を描いたような滝だった。

その滝の落下点には、もう一つの川が流れ込んでいて大きな滝つぼになっていて、いわば、超・超・チョ~巨大なウォータースライダー付きの天然のプールのようなところでした。日本では水遊びというと、庭先にビニール製のプールを置いてパチャパチャとやるやつだが、ここでの水遊びは桁違いである。そのスケールたるや、男女だとか年齢だとか、ましてや国籍などは全く関係なく、すべての人間が大自然のなかで等しく神の子となるほどである。僕も神の子となって、滝に打たれたり、岩の上から滑り降りたりして、大はしゃぎをしながら思う存分遊びほうけた。

みんなで無邪気にひと遊びしたあとは、日よけ用の覆いだけという、いわば天然のレストラン会場のようなところで、パンと質素な器に鳥肉と野菜だけが無造作にもられただけのごく簡単なランチをとった。そこは、さしずめ川の中のドライブインのようであった。別のツアーのボートも入ってきた。

未開の広大なジャングルの一角の河岸で、子供のように大はしゃぎをしながら水遊びをした。大自然のなかで遊びほうけるというほど愉快で爽快なことはない。圧倒的な樹木や岩石や岩畳、そして、豊かな水流、人造物が視界を遮ることのない大きな青空の下で昼飯を食った。すきっ腹にかっ込むメシほどうまいものはない。

腹ごしらえをした我々ツアー客一行は、再び、パック詰めにされた鶏卵のように行儀よく並んでボートに着席した。ボートはエンジェルフォールをめざし、広々とした川面を滑るように走り出した。

船のへさき
船のへさき

舳先には船頭さんの息子とおぼしき少年が足をブラブラとさせながらチョコンと座っていた。長い竹竿で水面をピチャピチャと叩きながら…。隣席のガイドに親子かと尋ねると、ガイドは大きなこっくりを一つした。穏やかな日よりの大自然は、すべてのもをゆったりとさせ、人々の心をのんびりとさせる。この船頭さんの親子を見ていると、文明社会もいいが、大自然に抱かれながら親子仲良く生きている姿もとても素晴らしいものに思えた。

心地よい遊びの疲れと満腹感からか、僕は、ふるさとの里山で寝ころんでいるかのような気分になった。心の底から大自然を満喫した。

日本人の旅行観のなかでは、旅先での食事の良し悪しなどが、とても大きなウエートをしめている。極論を言えば、旅行とは、豪華な料理を食べに行くという感がある。ここで僕は、その日本人流の旅の組み立て方が明らかに間違っていると思った。今日のランチはとても質素であった。しかし、不満は少しもなかった。たぶん、ここが文明社会とは全く違った未開のジャングルの真っ只なかだったからだろう。

ざっくばらん言えば、今、我々は冒険旅行をしているのだから、腹はくちくなればいいだけのことで、美味い不味いは問題外であった。それより何より、ここには、食べること以外に興味をそそられることが山ほどあったからだ。

食後のうたかたなひとときが過ぎ去った。ふと我にかえると、ボートはとてつもなく広大な川面を進んでいるのに、なぜか、我々を乗せたボートは左岸に添って走ったり、右岸に寄ったりしながら進んでいることに気がついた。僕は一瞬「船頭のヤツ、酔っぱらっているな」と勘ぐった。もし、素面(しらふ)であるならば、こんなに広い川なのだから、真ん中をフルスピードで進むハズであると思ったからだ。

僕は、疑問を解決しようと、最後尾の船頭のほうを振り返った。しかし結果は、小柄であるうえに一番前の席に座っていた僕には、すぐ後ろの大柄で陽気なラテン系の人達の姿しか見えなかった。が、???…、どこからか得体の知れぬ緊張感が伝わってくる。ナンだナンだこの緊張感はと、僕は、全神経をそばだてた。

ナンと、その緊張感は、お父さんの後について、ただ遊んでいるだけの子供だと思っていた舳先の少年が発していた。

僕は、川とは、岸辺から中央にむかって必ず深くなっていて、大きな川ほどこの傾向は顕著なモノだと思い込んでいた。それは、これまで僕が急流で知られる日本の川しか見たことがなかったからだ。しかし、ここでの体験で、その考え方が間違っていることに気がついた。新発見である。なんと、ここの川底は、地表を覆うような巨大な岩盤になっており、端から端までほぼ平坦になっていた。そう、板の上に水を流したような状態の川だったのです。

川の中央部分が必ずしも深いとは限らないということに気が付いた。そして、突然、ボートが進路を変更するワケにも合点がいった。

父親の後を追ってボートに乗り込み、長い竹竿で水面をたたきながら遊んでいるものだとばかり思っていた少年が、実は重要な任務をこなしていたのだった。少年が微妙なタッチで動かす竹竿のあとを追った。少年が竹竿でたたく水面に目を凝らした。川底の岩盤に、大小無数の亀裂が無秩序に走っているのが見えた。

船頭さんは、その岩盤の裂け目に沿ってぬうように進路をとっていたのだ。いわば、川底にできた無秩序な道筋を選んで進んでいたのです。船頭さんには、この川底の道がすべて頭に入っている様であった。そして船頭の息子は、不慮の事故を避けるために、舳先に座って長い竹竿を使って、川底の状況をチェックしていたのだ。

時折、何か変わったことがあると、最後尾の父親にその竹竿をかざして合図を送っていた。改めて、息子の動きとボートの進み具合をみると、とても良く息の合った親子であることが伝わってきた。船頭が酔っぱらっているのかと思ったのは間違いだった。優秀な船頭親子の操るボートであった。

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8. 神秘の絶景、感激の絶景

我々一行を乗せたボートは、熱帯雨林のなかを網の目のように縫って流れる、南アメリカで第三の大河であるオリノコ水系の一つであるカラオ川の広大な川面を快調につき進んでいた。しかし、僕には地形的なことはさっぱり理解できなかった。それは、左岸は濃い緑色の木々ですべてが埋め尽くされたジャングルであり、前方は見渡す限りの川面、そして、右手にも延々とジャングルが続くだけであり、さらに上空を見上げても、そこには、ただ空があるだけという世界だったからです。

僕たちは、ベネズエラ南東部に位置する世界最後の秘境といわれるカナイマ国立公園にあるギアナ高地の台形状の山々・テーブルマウンテンを目指して進んでいた。もちろん、世界最大級の滝・エンジェルフォールをこの目にしっかりと焼き付け記憶に残すためです。

テーブルマウンテンとは、地盤のやわらかい部分が風雨で削り取られ、固い地盤だけが台形状に残った山だそうで、ここ以外には、南アフリカのケープタウンを見下ろす位置にあるテーブルマウンテンが、有名だそうです。

このときの僕は、ひとときも気の抜けない危険な川面を懸命に操船する船頭さん親子をながめやりながら、映画やテレビで見た、アマゾン探検隊の隊長気分になって、あれこれと危険回避の指示をしているよう錯覚におちいっていた。

やがて広大な川面は徐々に狭くなってきた。ここでいっている、川幅が狭くなってきたというニュアンスは、日本でのそれとは全く意味が違います。依然として、河口近くの信濃川や利根川ぐらいの広さがあったからです。

やがて隣に座っていたガイドが、間もなくエンジェルフォールへのベースキャンプに到着する、と教えてくれた。それを聞いた僕は、未開のジャングルの中にどんな村落が出現するのかと、期待に胸躍らせてあたりに眼を凝らした。しかし、川の両岸には、屋根と柱だけの建物しか見えなかった。

あたりは依然として広い川の中流域の風景であったが、そんな場所でボートは停止した。このツアーのボートの終点であった。そこには粗末な桟橋さえもなかった。船を降り自力で浅瀬をジャブジャブと渡り、そのままジャングルに入った。

ジャングルに入ると、すぐにガイドが立ち止まりナニかをそっと指差した。ガイドの手元を必死に見やると、そこにはヘリコプターがホバリングしているようにみえる、小さくて可愛らしいハチドリがいた。ず~っと同じ位置で浮いているハチドリの鮮やかな羽色が、森の緑ときれいな水の流れとにマッチして、たとえようのない美しさでした。

ハチドリ
ホバリング中のハチドリ

ハチドリがホバリングしています。皆さんにはわかりづらいと思いますが、シャッターを押した僕にはハッキリと見てとれ、しかも、そのときの情景が今も目に浮かびます。実は僕、この時ほど、カメラを紛失した自分自身のことが情けなく思ったことはありませんでした。

この写真と、下段のエンジェルフォールは、所謂、インスタントカメラで撮ったものです。残念ながら足跡を残すのみで臨場感というモノが全く表現できていません。ゴメンナサイ!

エンジェルフォール
エンジェルフォール

さて、ハチドリのところから、一時間ほどゆるやかな坂道を登っていくと、突然、眼の前に大きな岩山が立ちはだかった。その岩山の岩肌に取り付くようにして急斜面を100メートルほど登りきると、そこは、断崖絶壁に突き出したとても広く大きな岩畳でした。まるで、京都・清水寺の舞台のようでした。

ここまで舞台裏みたいなジャングルのなかを歩いてきたり、必死に岩肌に取り付いていたりしていたので、今の今まで気が付かなかったが、ふと見やった先には、なんと、エンジェルフォールの一大パノラマが広がっていた。そして、この眺望の舞台が今回のツアーの最終地点でした。

ここで僕が初めてエンジェルフォールを目にしたときの印象は、どういう訳か、山頂を征服したときのような、晴れやかですがすがしい感動とか感激というものはなかった。エンジェルホールと一人静かに対峙している僕の心の中には、なぜか表現のしようがない昔なじみのものと、物静かな対面をしているという感じでした。それはたぶん、太古の昔からの変わらぬ威容でそそり立つエンジェルフォールの神秘な姿を仰ぎ見たからだと思う。

そして、こんな気分はかってあじわったことがあるぞと、ふと僕は思った。

そして、思いあたった。

西国三十三観音の一番札所、青岸渡寺から那智の滝を見たときのことだったと…。
我々日本人は、滝といえば、高所から轟音と共に大量の水流が飛沫をまき上げながら落下してきて、滝つぼに激突している様子を想像すると思います。ところがエンジェルフォールは、僕たちが想像する滝とはまったく違っていました。まず第一に、とにかくエンジェルフォールは、とてつもなく大きくて、とてつもなく高いところに存在しているということです。そして、不思議なことは、超巨大な滝なのに水の落下する音が全く聞こえないということです。

確かに僕達が立っているこの場所は、エンジェルフォールから500メートルも離れていますが、写真でご覧のとおり、僕の視界の大部分はエンジェルフォールが占めています。それほど巨大なのです。なのに、聞こえてくる音はといえば、谷底から沸き起こってくる轟音だけなのです。

不思議な現象に、首をかしげながら眼を凝らしてよくよくエンジェルフォールを眺めると、それは、遥か上空から巨大な水流が落下しているように見えたが、実は、水流が落下していたのではなかったのです。

なんと、ものすごく濃密な霧の塊が、山の頂上から地表まで巨大な一本の柱かカーテンのようになっていたのです。だから、いわゆる滝特有の水が落ちる音が聞こえなかったのです。いわば僕たちには、エンジェルフォールが見せる無声映画のスクリーンを仰ぎ見ていたのです。

このとき僕は思った。青岸渡寺からの那智の滝とエンジェルフォールの神秘さは、見る人達に、強烈に自己主張するかのような滝特有の轟音を消し去っているからだと…。エンジェルフォールは、このように一旦消し去ってしまったかのよな轟音を、今度は、一気に大音量に増幅して観客に聞かせ驚かせてくれました。

それは、滝の水をいったん濃密な霧に変え、静かに地表にしみ込ませ、それを今度は、ひとまとめの莫大な水量にして一気に地表に噴き出させるのです。その轟音の舞台は、エンジェルフォールを見渡す僕たちが立つ岩の上からかなり近いところにあった。それでも200メートルはゆうにあった。

チョロチョロと流れ出す日本の川の源流と違って、ここでは、あの水たちが、岩盤の隙間から一団となって、一気に噴出して、いきなり、轟音と共に激流を作り出すのです。とてつもない源流の誕生の瞬間でした。

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9. 南米式ホテルと宴会

圧倒的なエンジェルフォールの自然景観にけおされ、僕は息を凝らしてただ呆然と立ちつくしていた。どれくらいの時が過ぎたのだろうか…、ふと我に返りあたりを見回せば、この舞台に立って地球の神秘な絶景を独占していたのは、僕とオランダ人とイスラエル人のたった三人だけだった。なにごとにも勤勉な国民性を発揮するものたちだけであった。

しばらくして探求心旺盛な国民性がそうさせるのだろうか三人は、はるか谷底から沸きあがる轟音をも意に介せず怒鳴りあうようにして話しあった。「ここから滝まではわずか500メートル位だ、なんとかすれば滝壺までたどり着けるはずだ!」と、オランダ人が口火を切ったのだ。僕とイスラエル人は「そうだ、そうだ!」と、なんども相槌をうった。

三人が身振り手振りで夢中になって話し合っているところに、相変わらず陽気な人達を引き連れてガイドさん一行が現れた。やっと、のんびり組みのツアーの仲間たちも晴れの舞台に登場した。

そこで我々三人組みは、いまの相談ごとを早速ガイドさんにぶつけてみた。

するとガイドさんは、眼下の激流を指差しながら説明をした。「あの川を渡らなければ滝へは行けない。見たとおり水量が多いいから、渡河はとても不可能だ!」、と我々にノーの判定を下した。そして、水量が多いのは今が雨季だからで、乾季の12月か1月になれば、ここから40分もあれば滝壺まで行けるから、その時期にまたおいでと続けた。

離れがたい場所であったが、去らねばならぬ時刻になった。帰路は来た道を真っ直ぐ戻るだけであった。

今度もやっぱり、オランダ人とイスラエル人がいち早く行動を起こした。僕も負けじと続いた。が、途中でたまらなく尿意がもよおしてきた。我慢の限界を感じた僕は、立小便をするために覚悟を決めてジャングルの中へわけ入った。結果報告です。ジャングルの中で不用意な姿をさらけ出しても害虫に襲われることはなかった。お陰でとても快適に小用を足せました。

帰り道とは、とても早く感じる。コレって世界中どこにいても同じ感覚だと思った。

出発点の船着場の戻った。ここは、エンジェルフォールへの上陸点でもあり、今夜の宿泊地(キャンプ場)でもあった。

いち早くエンジェルフォールをあとにしたオランダ人は、たぶん、後続を気にしながら歩いていたのだろう。その彼が、僕を見つけるとビックリした様子で「速かったね!」、と西洋人特有のおおげさな身振り手振りを交えながら言った。背の高い彼から見れば小人のようにみえる僕が、彼と同じ位のスピードで後を追って来たということが、信じられないといった顔つきであった。

僕たち先着の三人は、川で水遊びをしながらみんなを待った。魚影を追ったり、小石で水切りなどをして無心で遊んでいたら、いつしか三人は幼なじみのような気持ちになった。よく小さな子供達は、人種・国籍に関係なく、すぐにうち解けて遊びはじめるという。大の大人も純真な心さえもてば、誰とでも、いつでも、どこでも友達になれるということを知った。

我々が川遊びにも飽き、ぼぉ~っとしていると、やっとガイドさんが皆を引き連れて戻ってきた。ガイドさんは我々を見つけると開口一番「今夜の宿泊場所は、ここから約50メートルほど下ったところだ」と、説明した。

僕たち一行が、川の中をジャブジャブと歩きながら宿泊場所にむかっていると、なんと、いく手で手を振って、お出迎えをしてれるような仕草の女性達の姿が見えた。さては…、日本の温泉旅館の「おもてなしの心」が、こんなところにまで及んでいたのかと僕はビックリ仰天であった。

しかし、この驚きもすぐに消え失せた。

僕たちを小高い台上で出迎えてくれたのは、ホテルの社員達ではなかった。何と、ここまで一緒に来た女性達のうちの4~5人でした。そうです!。彼女達はエンジェルフォールまで行かなかったのです。コレって…、日本人の僕にはとても凄いことだと思った。しかし、この驚きもまたすぐに消えた。

それは、まじまじと彼女達の立派な体格を見て別のことを思ったからだ。本当は彼女たち、エンジェルフォールまで歩けなかったんだ…と、彼女達はラテン系であった。出産後に、アッという間にあの素晴らしいプロポーションから相撲取りのような体型に変身したらしい。

さて、彼女たちが待つ小高い丘は、川辺から10メートルぐらい登ったところで、そこは、ほぼ平坦になっていて今夜の宿泊施設があった。

そこは、エンジェルフォールの絶好のビューポイントであった。そして、この宿泊施設は、別名、ハンモックホテルと呼ばれている。ホテルとは名ばかりで柱の上に屋根が乗っているだけといった感じである。ハッキリ言えば小屋であった。幅7メートルぐらいの正面からは、周囲の木立が丸見えであった。側面は20メートル位の長さがあったが、腰ぐらいまでの高さの板が打ち付けられているだけであった。

謂わば、本物のオープン住宅というものであった。ガイドさんに案内されてホテルに入ると、ハンモックが腰板にそって両サイドに、ずっらと天井からぶら下がっていた。その数、50~60個はあるようだった。

僕は見たこともないホテルにビックリして目を丸くして立ち尽くしていたら、ガイドさんが、今宵の睡眠場所だといって、すでに柱と柱の間にぶら下がっているハンモックをツアー客一人一人に割り振ってくれた。ハンモックには蚊帳もついていた。簡単な部屋割りであった。

ともかく今夜の寝場所が確保できた僕は、早速、濡れた衣類を脱ぎ乾いた夜間用の衣類に着替えた。濡れた衣類や靴や海パンは屋根をささえる梁に吊して干した。ハンモックを広げて寝ごこちを確かめてみた。ハンモックに目印を置いたりして就寝の準備を整えました。オランウータンになったような気分であった。

さて、余裕の出来た僕は、敷地内の諸施設をチェックすることにした。

トイレはホテル(小屋)を出て下流の方向にあった。建物内に入ると、なかには3~4ヶ所の個室があったが、日本の公衆便所のように男女の区別はなかった。そして、便器はもちろん洋便器であったが、日本のそれのようにかわいらしいものではない。頑丈そうでとてもデカイものであった。また、日本人の神経ではとても座って用を足せるものではなかった。ハッキリ言えば、とても汚かったのである。が、よその国の人達は全く平気みたいであった。日本人は桁外れの潔癖症である。

次にホテルの上流方向に足を向けてみた。
そこには、日本のキャンプ場でよく眼にするような、向かい合って20~30人が座れるような木製のテーブルがあった。多分ここが今夜のレストラン会場だろうと想像した。

その先には、二畳ほどのスペースの厨房(正確には、炊事場)があった。そこではコックさんが大量の鳥をさばいていました。そこからジャングル側に目を向けると、大量のマキを燃やしている人達が見えた。そこは、煮炊きをする場所らしかった。きっと、さっきの鳥をここで丸焼にするんだなと思った。

その場に近づくとコックさんが上空を指さした。その先には、なんとエンジェルフォールの天辺がくっきりと見えた。この地に立って目をこらし、エンジェルフォールをよくよく眺めると、確かに流れだしは滝だった。変な言い方ですが、大量の水が落ちていく様子がよく見えた。

ところが、どの位いの距離を落下してからそうなるのかは見当がつきませんが、大量の水が、いつのまにか霧に変化してしまいます。そして、一瞬でも目を離すとすべてが霧につつまれ、滝自体が消えてしまい、なんにも見えなくなるという不思議な光景が見られた。しかし、しばらく待っていると、突然、霧が晴れて青空の中に、また、はっきりと滝が浮かび上がります。こんな景色の変化がゆったりと繰り返されています。

みんながそれぞれ写真を撮ったり景色を楽しんでいる間に、先ほどの煮炊き場では、マキを燃やして作った熾(おき)が積み上がり、真っ赤な炭の山になっていた。コックさんがそのまわりに手際よく串刺しにした鳥肉を並べて立てていった。囲炉裏での鮎の塩焼きの超巨大版である。

あたりが薄暗くなってくるとランプに灯がともされた。

そんな時刻になった頃、別のツアーの一行が到着しました。その中に日本人のように見える青年が一人混じっていました。彼も僕のことを驚きの目で見ていました。そのとき僕は、彼がすごいカメラを持っているのを見て日本人に間違いないと思った。

ついに、あたりは真っ暗になりました。いよいよディナータイムの始まりです。ここのディナー会場には、先ほどチェックした大きなテーブルが一つ設置されているだけであった。なのに、ゲストの数はテーブル席に比べてどう見ても多かった。その理由は、いつのまにかもう一つのツアー客が合流して、みんなで三団体になっていたからだ。

僕は宴席のことでチョット不安な気持になった。僕たちは席にも付けず立ったままで待たされていたからだ。そんな僕の気持ちを察したかのように、ガイドさんは、手際よく僕たちのグループを優先的に着席させてくれた。残りの席には、どういう仕訳方かは解らないが他のグループの人達が座った。でも、まだ席を確保出来ない人達もいた。

どうやらここでは夕食が二回転で行われるらしい。おあずけをくらった組ではなかったので、たいして気にはならなかったが、せっかちな日本人には考えられないディーナ会場の風景であった。

料理が並べられた。
先ほど見た鳥の丸焼きが一人半羽で味付けは塩のみであった。それと、ポテトのゆでたのとパンだけであった。しかし、料理は質素だがここでのディーナは最高であった。それは「腹ペコ」という副食が盛り込まれていたからだ。

座席は一番端がガイドさんで隣が僕。向かい側にはあのメキシコ人夫婦とオランダ人とイスラエル人が並んで座っていた。鶏肉をかじりビールを飲みながら、それぞれが、おしゃべりしながらの賑やかな食事が進むと、例のメキシコ人がガイドさんに合図をした。ガイドさんは、こっそりとウイスキーを取り出しショットグラスに注いだ。

メキシコ人は、先の密約どおり僕やオランダ人にそれを勧めた。

ところが、ここでオランダ人は「オレやっぱりウイスキーはいらない」と、信じられないことを言った。僕は「へー…」と、あいた口がふさがらなかった。世界中で一番ケチと言われているのがヨーロッパ人達で、その中でも観光客としての嫌われ者はオランダ人であると、何かの本で読んだことがある。こんな噂話には、チョットした根拠があることを知った。それでも、そんなことには構わず気分も害せず宴を続けるメキシコ人は、根っから陽気な人達だと思った。

ここでは、ビールはコーラと同じカテゴリーに入るようだが、ウイスキーはやはり禁止らしくて、メキシコ人とガイドはほかのガイド等の目を気にしていた。

そして、席を次の人達に譲る時間となった。席は立ったが、みんなビール片手に立ったままで宴の続きを楽しんでいた。すると、先ほどの日本人らしい彼が話しかけてきた。酒が飲めるとはいいもので、僕がビールを勧めると彼はにこやかに今日ここまでのいきさつを話し始めた。

彼は今朝早くカラカスに着き、そこでエンジェルフォール行きのツアーに参加して、そのままカナイマから僕たちと同じようにボートに乗ってこのキャンプに来たのだと言った。だから、エンジェルフォールには明日行くことになる。

話せばたったこれだけだが世界は大きい、これだけでも一週間はゆうにかかる。仕事を休めるのは、これが限度だからエンジェルフォールをみたらすぐに飛行機を乗り継ぎ、急いでとんぼ返りをするのだと言った。

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10. また、旅に出た

エンジェルフォール紀行の貴重な体験談を語ってくれた与田さんは、このあと自らの仕事をほっぽり出して、また、ふらりと旅に出てしまった。今度はどこへ行ったのやら…。寅さんみたいな人である。経済的に余裕のある人の特権である。でもそのうち、また、アッと驚くようなみやげ話をもって現れるだろう。その日を楽しみに気長に待つことにしよう。

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