初めての営業

海沿いに建つ「ホテル アタガワ」には、新館と旧舘があり総客室は45室。通称300人の収容と全室オーシャンビューと謳ったが、実際には250名そこそこの収容で、すべての客室からの眺望がバッチリというわけではなかった。宴会場は最大150名で、パーテーションで3っつに区切れた。当然、大浴場はあったが他館の社員宿舎が邪魔をして海はちょっことしか見えなかった。

宴会のイラスト
団体旅行の宴会イメージ

ネヲンは、なにごとも自分に都合よく考えるタチであった。団体さんを効率よく集客するには、団体旅行専門の旅行会社にセールスをかければいいと考えた。それで、JTBの団体旅行渋谷支店に挑んだ。

しかし、団旅渋谷で扱う客層は、バス10台とか20台とかの大型団体であった。ネヲンが考えていた40~50人程度の団体さんとは、まるっきり人数の桁が違ったので、当然、ホテル アタガワなんてお呼びでなかった。

その後もネヲンは、団旅渋谷での営業を頑張ったが成果はゼロであった。ネヲンのドジもあったが、ホテル アタガワは、大型団体向きの旅館ではなかったからだ。しかし、収穫もあった。一流大学を出て一番の人気企業に勤める人たちと交流を持てたことで、世の中にはいろいろな人たちがいることを知った。

大手旅行会社は、凄い!

これまで大手旅行会社は、全国の支店で発生した個々の予約や取り消しを、東京の手配センター経由で、各旅館と直接電話でやり取りをしていたが、あるときJTBは、こんな業務を一変させた。

電話での予約や変更のやりとりがなくなり、深夜0時になるとテレックスが、強烈な機械音をたててヘビのように細長いテープをはきだした。そのテープには不規則な穴があいていて暗号のようであったが、それに要件が書き込まれており電話の代わりとなった。

同時に、JTBの店舗内では旅館販売用の資料が完璧に整備された。各旅館の温泉の効能や施設的な詳細な情報はもちろん、温泉街の歩きかた地図や付近の観光地などが余すことろなく記載されていた。

それに伴い、それぞれの温泉地内の各旅館には、01、02、などと格付け的な番号を付与した。その番号は、社員たちが旅館を選択する順位の目安であるであった。ちなみに、ホテル アタガワは「06」であった。「06」という番号は、ただ待っているだけではなかなか順番が来ない。

これらのシステム化の一環では、宿泊クーポンや電車のきっぷなども瞬時に発券されたので清算業務も簡素化された。よって、経験のあさい社員でも、お客さんの要望通りの旅館がいとも簡単に販売できるようになった。

この業務システム強化は、店頭販売員たちの労力を削減したが、同時に、社員たちを金太郎アメ化し、現地の情報提供者である旅館の営業マンのやる気をそいだ。

新宿西口支店にて

街の旅行業者のようなイヤミな対応と違ってJTBの社員は、どこでも、にこやかに応対してくれるが、その先の関係が構築できない。暖簾に腕押し、取り付く島もないというやつである。これでは機械的な送客以外は期待できない。今のネヲンの大きな悩みとなった。

すなわち、ネヲンの営業をはばんでいるのが「融通の利かない奴」と「クソ真面目な奴」である。そして、一番始末が悪いのが、無表情で「ハイ、わかりました」とオウム返しを連発するヤツである。コイツ等には、ほんとうに参った!

水虫とおともだちのネヲンは、革底の靴を愛用していた。革底靴は穴があくのが早い! 穴は開いても先は見えなかった。

押しても押しても響かない。外ズラはいいが愛想のないJTB社員たちへの営業は、小説「坂の上の雲」の、旅順港を一望する203高地の奪取を目指し突撃を繰り返す日本軍の兵隊さんと同じであった。山頂のトーチカから機関銃を乱射するロシア軍にむかって、歩兵銃を携え突撃をしているみたいだった。

そんなとき、弱気なっているネヲンの脳裏に、乃木大将の「突撃!」の号令が響いた。

新宿駅西口の風景
現在の新宿駅西口の風景

新宿西口は、奇しくも安田生命の入社試験で人生のダメをだされた場所であったが、営業での成功の入り口でもあった。

新宿西口支店で、いつものようにカウンターセールスをしていると、傍らの若くてやんちゃそうな社員がネヲンの差し出したパンフをみて、ひと言いった。「お客さん入れといたよ!」と…。

ネヲン、反射的に「有難う御座います!」と、いいながらその顔を見てひらめいた。同時に、大井町の旅行業のお母さんの顔が浮かんだ。

ネヲンの努力に、営業の神様がほほえんだ瞬間である!

そうだ! 買わないヤツに売る努力をするよりも、買ってくれる人を探せばいいのだ、ということに気が付いた。嫌味な個人旅行業者のじじいなんぞは、糞食らえであった。スッキリ!

営業には2種類ある。そう、売る営業うと買ってもらう営業である。自分がどちらのタイプかがわかれば、営業って結構楽な職種である。地で行けばいいからである。

優秀な社員が集まるJTBいえども全員が同じではない。少数であるが、会社の指針やシステムにしばられない社員がいることを知り、JTB攻略の糸口を見つけたネヲンは営業スタイルを変えた。

ネヲン、JTBの支店に入ると、まず、カウンターにいる社員たちの顔つきや服装、動きを注意深く観察した。アウトサイダー的な社員を見つけるのである。特徴のなさそうな奴は無視!

この新宿西口支店には、後日談がある。ネヲンが総案の所長として下呂温泉に泊まったとき、この時期、この支店にいたという真面目そうな支配人がいたのである。残念ながら、ネヲンの選別からは漏れていたので、お互いに、ヤァー、ヤァーという再開ではなかったが、楽しい思い出話ができた。

ちなみに、このシステムを無視するようなJTBの社員たちの行為は規律違反にはならない。社員たちには、お客さんの希望であれば、どこの旅館を手配してもよい権限があった。

さて、この戦術はみごとに当り送客が増えた。そして、思わぬ波及効果もでた。これまで、JTBと旅館を結ぶのはテレックスだけであったが、「湯の街ネヲンさんいますか」と、JTBの社員からじかに宿泊依頼の電話がくるようになった。旅館の仲間たちは、天下のJTBから指名の電話が入ることを凄いと評価してくれた。

曲がりなりにも、ネヲンが成果を出せたのは、社長の指示(?)に従わず3日間遊ばなかっただけである。ただ、やみくもに歩いただけであった。

蒲田支店にて

蒲田駅前の風景
現在の蒲田駅前の風景

この日、ネヲンは蒲田支店にいた。11月も下旬になると大都会・東京の街にも木枯らしが吹いた。

JTBの支店営業に対するコツをつかんだネヲンは、いつものように店舗の片隅で社員たちの動きを見ていた。余裕とは恐ろしいもので、カウンター越しに対話している、年配で管理職風の社員とジャンバー姿の若い二人連れのお客さんとの雰囲気があやしいことに気が付いた。JTBのこの職員には、売り上げよりも、煩わし仕事にかかわりたくない様子がありありであった。

ネヲンは、その席の隣の社員をめがけて立ち上がり、うまく接触し、セールストークのあいまに隣の会話に耳をそばだて、広げたパンフレットを盗み見た。

会話の内容が掴めた。忘年会パックの20名様からというところで折り合いがつかないのである。はなからやる気のないJTBのオッサンは「規定が…」の一点張りである。お客さんは、一班で15~6人はいるのだから「そこを何とか…」と、食い下がっていたのだ。

交渉の決裂が必死とみたネヲンは、ここでの営業はやめて、店外で2人連れお客さんにアタックしようと思った。店舗の前には蒲田駅に向かう歩道橋があった。歩道橋のうえで待つことにした。案の定、ここからは店舗が丸見えである。ネヲンは、お客さんを見逃してはならずと人の出入りを確認しつつ木枯らしに耐えて待った。

仕事の波に乗っているときは、こんなものである。

二人が歩道橋を登って来た!

「ホテル アタガワの湯の街ネヲンと申します」と、パンフと名刺を差し出し若者に声をかけた。話はここの橋上であっさりと決まった。しかも、旅館にとってはおいしいコンパニオンパックであった。

この若者は、なんと全日空の羽田空港の地上勤務者で作る労働組合の幹事であった。15~16人を一班として、10班のローテイション勤務をしているそうだ。が、取りあえず仲のいい人がいる3班の来館を確約してくれた。なお、残りの班の人達には我々の結果を見て、よければ次の機会に必ず紹介するとの約束までしてくれた。

ちなみに、必死に捕まえたお客さんに、ネヲンが現地で粗相をするはずが無い。当然、若い人達は喜んで帰り、残りのグループを次々と紹介してくれた。蒲田と伊豆は、旅行距離も丁度いい。時期がくると、毎年来てくれた。そして、何人かは、新婚旅行で来てくれた。

さらに、オマケもついた。ネヲンに対する社長の評価があがった(?)のである。全員集合の席などで「あれはど不愛想だったネヲンさんが、お客さんのまえでニコニコとするようになった」と、人は変われる、という例として機会あるごとに持ち出した。

ネヲンがここまでこれたのは、ネヲンの上司の支配人のお陰である。

その支配人は言った。「オレは、お客さんにスリッパで横っ面をひっぱたかれても平気だ」と…。ネヲンの頭のなかにはない発想である。

お客さんの可愛いさと、同時に、怖さも知ったネヲンは、何かあったら支配人の後ろに隠れればいいと逃げ道を作った。なにごとにも、前むきなネヲンであった。

蒲田のさくら咲く

蒲田の桜
蒲田の桜 あやめ橋付近

さらに、話は続く。

この人達は全日空の「健保組合」まで紹介してくれた。健保組合への訪問とはいえ、全日空の本社ビルに出入りできるのはとても気分がよかった。そこでは、組合員の旅行だけではなく、無理難題な航空券の問題まで解決してくれた。蒲田で、さくらが満開となった。

▶ 第五話に続く

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